4試合を投げきった寝屋川の好投手、藤原の夏が終わる

高校野球の北大阪、南大阪大会の準々決勝が行われ、公立校がすべて姿を消した。北大阪では、寝屋川、大冠、香里丘の3校、南大阪も八尾、三国丘の2校がベスト8に残っていたが、それぞれ私学を相手に全敗。今春に大阪桐蔭をあとアウトひとつまで追いつめた寝屋川は昨春センバツ準優勝校の履正社に3-6で惜敗した、また昨年の大阪大会決勝で大阪桐蔭と互角の勝負をした大冠も東海大仰星に5-10で敗れた。激戦区大阪で、公立が甲子園出場を果たしたのは1990年の中村紀洋氏が引っ張った渋谷高が最後である。

寝屋川はベンチから今の打者が何番かを示すボードを出して藤原をサポートした

 ネクストバッターズサークルにいた寝屋川のエース藤原は予感がしたという。
「ゲッツー打つやろうと。わかるんです。2年半一緒にやってきたメンバーやから」
 3-6のスコアでむかえた9回に寝屋川は履正社に最後の抵抗を試みた。

 一死から9番の吉村がセンターオーバーの二塁打、岡崎も三遊間ヒットで続き、一発が出れば同点のチャンスを作った。履正社の背番号「1」位田からタイムリーを含む2安打を放っている藤原まで回れば、何かが起きたかもしれないが、野球の神様は、それ以上のドラマを用意してくれてはいなかった。無量井の打球は4-6-3と渡るダブルプレー。公立の進学校、寝屋川の短くて濃厚な夏が終わった。
「僕のせいで負けた。最後の最後で、ふがいない最悪のピッチングをして……チームのみんなに申し訳ない」。4試合をたった一人で投げきった藤原は顔を伏せて泣きじゃくった。

 ベストパフォーマンスを見せることができなかった。
 春には、大阪桐蔭を相手に堂々と渡り合い、もう私学に名前負けするようなコンプレックスはなかったが、「勝ちたい、勝ちたいと思いすぎて。その気負いがプレッシャー、荷物になった。甲子園を本気で目指していたから。勝つには自分がいいピッチングをしないといけないと思いすぎた」という。

 春から「不動心」を新チームのテーマに加えたが、まだ高校生。その心は揺れた。
「強豪を抑える術は知っていた」が、大胆さを失い、コースを狙いすぎてボールをコントロールできなかった。ボールが先行。本来は、135キロ前後のストレート見せ球に、スライダーや落ちる球をプロが注目する強打者が好きなコース近辺にうまく散らして、バットの芯を外すピッチングが持ち味だが「逆に厳しいところがボールになり甘いコースへいった」。1回に一死から連続四死球で2人の走者を背負うと、4番の白瀧に通称ハンガーと言われるホームラン球をライトスタンドへと運ばれた。
「ああ、やってしまった…」。藤原が天を仰ぐ。
 この日の審判のストライクゾーンが狭いことも手伝い、自分で自分の首を絞めるようなピッチングが続く。 だが、2回には、春の大阪桐蔭戦でアウトあとひとつで痛恨のトンネルをやった一貫田が素晴らしいクイックネスで併殺プレーを成立させ、3回には、一死満塁のピンチからライトへの浅いフライで、タッチアップを仕掛けられたが、野田―一貫田―岡崎と、最高の中継プレーで本塁を死守して無失点を守った。
「みんなが頼もしかった」