平沼専蔵『横浜成功名誉録』森田忠吉著より

 明治期の大富豪として知られる平沼専蔵ほど、その人柄の評価が真っ二つに分かれる人物はほかにはいないかもしれません。没落した華族から金品を巻き上げるような悪党ぶりを見せつけたかと思うと、米の凶作時に外国米を安く買い叩いて、貧しい人々に安価で提供する義賊ような一面もあったと言われています。埼玉県飯能から江戸に奉公に出て成り上がり、巨富を築き上げた「迷宮」のような投資家の快進撃を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

【連載】投資家の美学

大悪党か? 奇傑か? 「迷宮」と称された男

 平沼専蔵の評価は没後100年たっても毀誉褒貶が相半ばする。平沼が亡くなる2年前、雑誌『実業界』は平沼を俎上に乗せるが、平沼という存在は“迷宮だ″とし、こう述べている。

 「平沼は一個の迷宮である。ある人は大悪党と呼び、またある人は、傑物とする。一面においては、冷酷残忍、ほとんど人にして人に非ざるがごとく、おとしめられるかと思えば、他面においては、一代の奇傑なり、意思の強固なこと、だれが、彼の右に出るか、と賞賛する」

 当時、平沼は75歳の高齢に達していたが、その評価は「大悪党」「極悪非道の人非人」から「傑物」「奇傑」までさまざまだった。

 「金貸し」という仕事がら、専蔵の品定めを一層難しくしている。没落華族に金を貸しては、カタに取った家宝の珍品を巻き上げたので“華族倒し″の異名もあった。半面で、平沼のおかげで窮地を脱した人も数多い。三井閥の重鎮朝吹英二などにとっては、平沼は命の恩人である。

 朝吹が横浜で生糸相場を張っていたころ、巨損を被り、進退極まった。海に飛び込んでしまおうか、と悩みに悩んでいたとき、平沼を訪ね、懇請した。

 「借りる時の地蔵顔、済(な)す時の閻魔顔」に泣かされてきた平沼は相手が朝吹だからといって簡単にはOKしない。半日がかりで問答を繰り返し、「じゃあ、お貸ししましょう」と引き受けてくれた。平沼の緊急融資で立ち直るきっかけをつかんだ朝吹は、以来財界で栄進の道をひた走るが、終生年賀に横浜の平沼邸を訪れたという。