松田直樹の命日に劇的勝利をした松本山雅、その魂は受け継がれている(写真は3年前の資料・アフロ)

 特別な日にもぎ取った会心の逆転勝利。連勝を今シーズン初の「4」に、連続負けなし試合を「8」に伸ばし、首位の座をがっちりと守った松本山雅FCの選手たちが、そして反町康治監督をはじめとするコーチングスタッフが、手渡された特製シャツを重ね着していく。

 クラブカラーの緑色のシャツの胸と背中には「3」が、背中の下の部分には「松田直樹」と記されている。日本代表としても活躍した松田直樹さんが急死してから7年。命日となる4日に敵地で行われた、ジェフユナイテッド千葉との明治安田生命J2リーグ第27節で手にした白星が天国へ捧げられた。

 松田さんの命日前後に行われたリーグ戦で勝利するのは、実は7年目で初めてだった。ジェフ戦を翌日に控えた3日の練習前にピッチの中央に松田さんの写真3枚を飾り、1分間の黙祷を捧げて必勝を誓ったことを明かした反町監督は、神妙な表情を浮かべながら故人を偲んだ。

「オレがここに来てから、命日に毎年やってきたこと。今年は試合があるから、前日に選手とスタッフを全員集めて『しっかり弔わなければいけない』と言いました。日本サッカー界に大きく貢献した選手であることは間違いないし、風化させないように、絶対に忘れちゃいけない存在だと思っているので」

 16年間所属した横浜F・マリノスを2010年限りで退団した松田さんは、2011年に当時JFLを戦っていた松本山雅に加入。マリノス時代から象徴だった「3番」を背負ったが、8月2日の練習中に急性心筋梗塞を起こして突然倒れ、意識を取り戻さないまま、2日後に34年間の短い生涯を閉じた。

 松田さんの遺志を引き継ぐように、後半戦のJFLで白星を重ねた松本山雅は4位に食い込んでJ2への参入を決めた。未知の戦いへ臨んだ2012シーズン。北京五輪でU-23日本代表を率い、アルビレックス新潟と湘南ベルマーレをJ1へ昇格させた実績をもつ反町監督が招へいされた。

 しかし、反町監督は当時から、心の片隅に「後悔」に近い思いを抱えていた。ベルマーレを率いて2年目を終えた2010シーズンのオフ。マリノスを退団した松田さんから突然連絡が入り、ベルマーレへの移籍を志願してきた。

「そのときに『悪いけどマツ、ウチは若いチームなので』と断った経緯がある。あのときに『湘南に来い』と言っていたら、もしかしたら今も生きているかもしれない。だから、その意味ではオレも責任を感じている」