新しくできた草原の都会として「草原の明珠」とうたわれてきたシリンホト市の全景。四方が小高い丘に囲まれた草原の小さな町だ=シリンゴル盟・シリンホト市(2018年7月撮影)

 日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。

【写真特集】故郷内モンゴル消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第13回

夏でも青空が少なくなっているように感じる。遠くに見える煙突は発電所のものと思われる=シリンゴル盟・シリンホト市(2018年7月撮影)

 今まで、12回にわたって内モンゴルの遊牧文化や遊牧民の日常生活や環境問題などを紹介してきた。そのほとんどはシリンゴル盟に拠点を置きながら撮影してきた。そこにはシリンゴルという草原があり、草原を蛇行しながら流れるシリンゴル川がある。そのほとりには豊かな牧草地があり、遊牧民の大切な生活場だった。

 風景も美しく、今は観光地として、その名が全国に知られている。シリンゴル盟の名前はここから由来する。そして、その政治的、経済的中心地にあるのがシリンホト市だ。

毎年行われるエルドニ・オボー祭りには地元の人々だけではなく、大勢の観光客で溢れる=シリンゴル盟・シリンホト市(2015年6月撮影)

 シリンホト市は歴史が浅く、新しい中国になってから市として、発展してきた。もともとここにベースイン・スム「貝子廟」(写真特集第7回参照)という寺院があった。長い歴史において、この寺が地域の政治的、経済的な中心地として役割を果たしてきた。

 そして1900年代以降はすでに、小規模ながら漢民族によるマイマイ城(商店街)ができていた。第7回でも述べたように、1940年代にこの地を訪れた有名な『スーホの白い馬』を描いた絵本作家の赤羽末吉氏の写真には当時の状況が鮮明に記録されていた。

 2016年に私はその写真展を見てとても感動した。貴重な写真記録を残していたことに、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

※この記事は「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第13回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。