摂氏35度を超え、島特有の蒸し暑さで、日中屋外を歩いていると汗が止まらず熱中症になりそうな真夏の済州(チェジュ)島。隣国・韓国のハワイと呼ばれる朝鮮半島の西南にあるリゾート地だ。

そんな島に今年に入り、数多くのイエメン人がやって来て、その数は500人を超えている。以前からイエメン難民の取材を続けている私は、はるか中東の本国から、なぜ8000キロも離れた済州島に彼らが集まってきたのか知りたくて、島を訪ねた。

(2018年7月23日~25日取材)

日本のお隣り、韓国で出会ったイエメン人たち

難民支援センター近くのスポーツ施設で夢中になってサッカーをするイエメン人青年。先週韓国チームと試合をして勝利したと喜んでいた=2018年7月24日、韓国済州島

一室にずらっと並ぶ二段ベッド。ベッドの縁にはシャツやタオルなど衣類が無造作にひっかけられ、部活動の合宿部屋の様な雰囲気だ。

時間は15時を回ったところ。部屋中央の通路に車座になって昼食をとるアラブ人たちの姿があった。

彼らの食事から懐かしい香りが漂ってくる。その日の昼食は香辛料で炊き込んだご飯にジャガイモと鶏肉。その場に立っていると、何人かが一緒に食べようと声をかけてくれ、自分が座るスペースを空けてくれた。

初めて会う異邦人でも快く迎え、ご飯をよそってくれるアラブ人特有のホスピタリティー……。頂いた食事は非常に質素なものだったが、香辛料が効いたご飯の味は、かつて2年ほど暮らした中東を思い出させる。

昼食をそそくさと済ませ、一人また一人と立ち上がり、イスラム教のお祈りを始めた。褐色の肌に彫りの深い顔立ち、イスラム教を信仰する彼らはイエメン人だ。

現在、この難民支援センターでは約70名のイエメン人男性が暮らしている。サナア、イッブ、タイズ、アデンなどイエメン国内の様々な地域出身の彼らは、泥沼化し、今も続くイエメン内戦により故郷を離れた人々だ。多くは家族をイエメンに残し、単身逃れてきていた。

済州島で会うイエメン人は、ほかの国で訪れた難民キャンプと異なり、ほとんどが若い男性だった。それはなぜか。気になり彼らに尋ねると、イエメン国内の状況を教えてくれた。

「サウジアラビアによる空爆や攻撃により、反体制武装組織フーシに多くの死者が出ていて、普通の若者を新たな戦闘員としてリクルートしている。だから皆逃げてきているんだ」

2011年中東で広がった民主化運動「アラブの春」により、30年以上続いたサーレへ政権が崩壊し、暫定政権へ移行したイエメン。しかし政情は安定するどころか、シーア派反政府武装組織フーシによるクーデターによって、暫定政権とフーシの内戦状態に。2015年には、フーシがシーア派国家イランの支援を受けていると見たサウジアラビアが中東諸国による連合軍を組織して介入したことで、被害が拡大していった。

彼らの話によれば、そんなイエメン国内情勢は一向に良くなる兆しが無いようだった。空爆や戦闘、貧困などにより、多くの都市で市民の暮らしは疲弊している。祖国に残した家族と連絡をとる手段はインターネット通話アプリだが、イエメンのインターネット事情は不安定で、繋がるのは週に数回程度だそうだ。

それにしても、イエメンからはるか8000キロ以上も離れた韓国。全くの異文化である韓国での暮らしはどう感じているのだろうか。

「韓国はとてもいい国だ。この難民支援センターでは住居と食事は保証してくれる」

ただ、こうも話した。

「しかし、この島で得られる仕事は漁業関係のみで、それがかなりの重労働。毎日10時間以上船に揺られて仕事をすることもあり、船酔いで吐いてしまう」

文化や言語、習慣が全く違う環境で暮らすことは非常に難しい。しかしそれは済州島で暮らす地元の人々にとっても同じことが言え、急にたくさんやって来たイエメン人を受け入れることは簡単なことではないだろう。