済美のミラクルには、他界された名将・上甲監督のイズムが継承されている(写真は2013年選抜決勝時の勇姿/岡沢克郎/アフロ)

「ミラクル済美」ーー。
 8月13日の星稜戦で済美は、6点差を8回に逆転。9回に追いつかれたが、タイブレークとなった延長13回に2点差を跳ね返して矢野功一郎の春夏通じて甲子園大会史上初となる逆転サヨナラ満塁ホームランでベスト16進出を決めた。瞬間、済美高校野球部の歴史を知る人は、ベンチ前で微笑む“闘将”故・上甲正典監督の在りし日の姿を、思い浮かべたのではないか。バットでねじ伏せるあの戦い方は、上甲野球そのもの。代が変われど、それは済美野球部に脈々と受け継がれている。

 否応無しに時間が巻き戻された。

 試合後、選手らは胸を張って2001年の創立100周年を記念して作られた学園歌を歌ったが、その中の
「『やればできる』は魔法の合いことば」という歌詞が話題となったのは、あのときも同じ。

 そして「ミラクル済美」 と形容されたのもまた、あのときと同じだった。

 話は、2004年の春まで遡る。

 女子校だった済美が男女共学となり、伴って野球部が誕生したのは2002年のこと。監督には、母校・宇和島東を率い、1988年の選抜大会で初出場初優勝を果たすと、強豪ひしめく野球王国・愛媛にあって、強打で同校を甲子園の常連へと導いた上甲氏を招いた。

 当初、上甲監督が、「キャッチボールも満足にできない」と嘆いたチームは、創部2年で選抜大会に出場。すると、あれよあれよという間に、頂点に立った。

 そのこと自体ミラクルだが、上甲野球も含めて象徴したのが準々決勝での戦いだった。

 ダルビッシュ有(現カブス)を擁する東北と対戦した済美は、9回裏の攻撃を2対6と4点をリードされて迎えていた。劣勢は明らか。このとき、ダルビッシュは肩を痛めてレフトの守備についていたが、済美は真壁賢守の攻略に手を焼いていた。

 9回、現在、同校で部長を務める田坂遼馬らの三塁打などで2点を返すも、2死走者なしとなり、さすがにここまでかーー。誰の目にもそう映った。
 
 ところが、済美は連打で、一、二塁のチャンスを作ると、上甲監督に笑顔で送り出された3番の高橋勇丞(元阪神)が、レフトスタンドへ起死回生の逆転サヨナラ3ランを放つ。ダルビッシュが背走するはるか頭上を、白球が越えていった。

 そこで奇跡的な勝利を収めた済美は、準決勝、決勝も制し、わずか創部2年で甲子園初出場初優勝を飾る。勝つたびに「『やればできる』は魔法の合いことば」が甲子園にこだますると、大会後、済美には学園歌の問い合わせが殺到し、希望者には、CDを発送するという事態にまで発展した。

 ところで東北を撃破した後のことである。