甲府市の穴水油店(『穴水要七』吉田蹄三編より)

 穴水要七は底知れぬ投機好きが養父にも理解され、ついには仲買いの店を持たせてもらえるようになりました。大勝利を新聞に書き立てられ、褒めちぎられるのも束の間、絶好調だった穴水にも戦争の黒い影が忍び寄り、あっと言う間に幸運を奪い去っていきました。そんな瀕死の投資家、穴水を立ち直らせた商売とは? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  「そんなに相場が好きなら」養父公認の相場師誕生

 身命を賭して事に当たるーーこれが穴水の真骨頂である。1914、15(大正3、4)年のころ、証券業者徳田商会の徳田昂平が穴水に面会を求めた。徳田は富士製紙会社の実情と将来性について穴水に質すためであった。この時、穴水は手帳をふところから取り出して諄々と説くこと1時間、徳田は穴水の熱意に負けた。徳田は第2次世界大戦中、各株式取引所が統合し日本証券取引所に一本化されたとき、総裁に推される人物。また後述する東京板紙株の買い占め戦でも穴水と因縁を結ぶ人物である。

 「この人ならば会社の将来を一任させても少しも心配はない。またこのような人物を得た富士製紙はきっと大いに発展するに違いないと確信した。一体全体富士製紙の株といえば悪株の標本のようにみなされて、市場では評判の至ってよくない株であった。しかし穴水は熱心に会社のために努力して、その面目を一新させた。王子製紙に次ぐ確実性があって、有望株となしたことは、なんといっても穴水氏一個の努力の致すところに他ならなかった」(吉田蹄三著『穴水要七』)

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