アフロ

 皆さんは「障がい者」というキーワードを目にすると、どんなことを連想するだろうか。

 一般的に「障がい者」というと、「不便」とか「可哀想」とか、そういう哀れみのイメージが先行する人が多い。しかし、時代が進み、社会が変わり、今、少しずつそのイメージが変化し、障がい者に対して寛容になってきている印象もある。ある意味、筆者のような重度障がい者でも、起業して社会に参加できることがその証拠とも言えるだろう。

 一方、筆者自身は、これまで多くの障がい者の方と接してきたわけだが、いまだに払拭できないある違和感を持っている。それはハンディキャップを抱えた障がい者の多くが、「完全無欠な健常者」を目指していることだ。

 もちろん筆者も、もし次に生まれ変われるなら、「五体満足な身体」、つまりは健常者になって別の人生を歩んでみたい気持ちがある。しかし、正直、今は「健常者のようになりたい!」と思ったり、目指したりすることはナンセンスだと考えている。

 「健常者」を目指している障がい者に「じゃあ、健常者になるってどういうこと?」という問いを投げかけると、彼らは「人に頼らず自立した人間になること」という回答をする。

 ここで出てきた「自立」というキーワードだが、筆者は個人的にこの言葉が好きではない。当然、健常者・障がい者を問わず、誰しも人に頼らずに自分でできることが増えたほうが良いに決まっている。

 しかし、実は、この考え方は非常に危険な要素を含んでいる。それは他者に依存しないということは、結局、「自分にできることは、他人もできて当然」という発想が社会に芽生えやすくなるのだ。

 観念的で逃げの方便に聞こえるかもしれないが、どんな人間でも優れているところもあれば、足りないところもあるのだ。それは紛れもない事実だ。

 みんながみんな完全無欠な人間となり、できない人を見下す社会になるよりは、お互いがお互いに足りないところを補い合える社会になるほうが、よっぽどチームワークがあり、効率の良い社会になると筆者は思っている。

 もちろん、障がい者にとって、自分の優れているところを探し、社会に還元することは決して容易ではないし、筆者自身も起業して雇用を生み、「寝たきり社長」という立ち位置を社会に認めてもらうまでに正直苦労した。

 しかし、健常者を目指さなかったことは本当に良かったと今は思っている。そのおかげで自分のことが好きになれたし、最高に生きやすくなったと断言できる。

 障がい者が自身の優位性を探すことは、健常者よりもハードルは高いことかもしれない。だが、「自分にしかできないこと」を探し出せたならば、障がい者は健常者を目指す生き方よりも圧倒的に格好良いと思っている。

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