わたしたちが当たり前だと考えてきた「働く」ということ。でもいつの間にか、肝心の「働く」ことの目的や意義を見出すことができずに、黙々と仕事をこなして日々を過ごしてはいませんか。

一体、わたしたちはなぜ「働く」のか。「仕事」とは何なのか── 。この連載は、そうした「働く」ことに対し、無意識に持ってしまった「当たり前」や自分を縛り付けて苦しめている「呪い」をテーマに、哲学対話が専門の小川泰治さん(宇部工業高等専門学校講師)が執筆していきます。

筆者より

[イメージ]働くことでお金を得ることは大切なのですが、本当に幸せなのはお金を得ることなのでしょうか(写真:アフロ)

以前の寄稿で、「一生十分食べていくに困らないだけのお金をもらえるとしたら、あなたは仕事を続けますか? やめますか?」という問いかけを取り上げました。この問いに対して、お金があれば仕事をやめる、と答える方にとって、働くことの意味や目的は「お金」ということになるでしょう。もちろん、仕事の報酬の基本的なものは、生計を立てていくために不可欠なお金、です。

ではお金は私たちの生活や幸せにとってどのような意味をもっているのでしょうか。一生懸命働いて多くのお金を手にしようとするのはなんのためなのでしょうか?

なぜ給与明細を食い入るように見つめてしまうのか

私は高専(高等専門学校の略。工業系の技術者育成を主な目的とした5年制の高等学校)の社会科でも主に「倫理」や「現代社会」といった科目を「哲学対話」を取り入れた授業で行っています。しかし当たり前ですが、自分の願いが叶って「哲学」を生業にしているからといって、霞を食べて生きているわけではありません。

去年は非常勤の立場で複数の職場(主に学校)を転々としたこともあり、今年初めて一つの職場からまとまった額の給与をいただくので、毎月の給与明細をくまなく見つめています。何度見ても金額が増えるわけではないし、哲学(や倫理、現代社会)を教えるという価値がわかりにくい仕事をしてお金をもらっているだけでもありがたい身分のはずなのに、心のうちでは「……もっとお金ほしいなあ」と思っています。

自身の今の働きに対して支払われている給与の額が不満というわけではありません。その意味では大変恵まれていると思っています。現状の自分の働きをお金でしっかりと評価してもらっていると感じます。ただそれでも、お金がもっとあったらいいなあという漠然とした思いは募るばかりです。

それは私のなかに、「お金がたくさんあることは自分の人生の幸せと関係している」という推測が強く存在するからだ、と思います。ですが、その推測は本当のことなのでしょうか。そして本当だとすればその「お金と人生の幸せの関係」とはどのようなものなのでしょうか。