法律で義務づけられている障がい者雇用の水増しが、中央省庁や国会など公的機関で相次いで発覚した。全国の障がい者団体を筆頭に、各方面から国に批判が殺到している。

障がい者雇用水増しは「単なる“悪”とは言えない」

写真:アフロ

 厚生労働省は、省庁の8割にあたる27の行政機関で3460人が不適切に障がい者数に算入されていたと発表している。衆院事務局では、40年以上も水増し雇用が続けられていたケースもあるという。

 これがもし民間企業なら、1人あたり月5万円の「障害者雇用納付金」を支払わなければならない。すべての不正が40年間にわたって行われたとして、遡って支払うとなると、雇用納付金の額は、

 3,460人×50,000円/人月×12ヶ月×40年=830億4千万円

 となるわけだ。さすがにこの金額は大きな誇張を含んでいるとしても、ルールを定めた国が、これだけのルール違反をしていたというわけだ。誰が考えても矛盾しているだろう。近代国家として決して許されることではない。しかし、筆者は、今回の障がい者雇用水増しは「単なる“悪”とは言えない」と考えている。

求職する側に問題はなかったか?

 その理由はいくつかある。まず1つ目。結果的に水増しに至ったということは、規定の法定雇用率に達しなかったということだ。すなわち、求人に対する障がい者の求職割合がアンバランスだったことが背景にあるのではないか。求職する側に問題はなかったのか?

 なぜ、アンバランスだったのかは正確な理由はわからないし、設備的な問題や能力的な問題もあると思う。しかし、筆者は、社会が思っているほど「障がい者の多くが働きたいと思っていない」のが根本的なところにあるのではないかと考えている。

 実際、筆者の周りでは、障がいを抱えながらでも懸命に働くことにこだわりを持って生きている方も多いが、その反面、障がい手当や生活保護で生きていければ無理して働く必要はないと唱える方もいる。むしろ、そういった方のほうが多い気もしている。

 もちろん、社会的な弱者を社会が扶養するという後者の考え方は間違ってはいないし、その選択肢を選ぶ権利もあると思うが、筆者は、健常者か障がい者かを問わず「働からずして楽して生きたい」という考え方にだけは賛同できない。