イメージ写真:ペイレスイメージズ/アフロ

 人から何か頼まれたとき、できないことは「できない」と断るのは、当たり前のことですが意外と難しいものです。自分の能力の限界をわきまえて、できないことは「できない」と断り、できることは引き受けてきちんと仕上げる。いつでもこんなふうに対応できるのなら、それだけでも立派だと言えるし、「できる人」という評価も得られるでしょう。

 なぜ、できないことは「できない」と断る。こんな一見簡単そうなことが、これほど難しいのでしょうか?

【連載】窓を開いて メンタルヘルスと生きるヒント

できないことは「できない」と、なぜ断れないのか?

 理由はいくつかあります。

 まず、無知。より正確に、ソクラテス風に言えば「無知の無知」。自分の能力不足を自覚していないから、できないことを「できる」と答えてしまう。

 次に見栄や意地。自分の能力不足を自覚していながら、見栄や意地のために「できる」と言ってしまう。

 この2つはさほど重大ではないかもしれません。いやいや仕事のパートナーがこのようなタイプだと重大な問題です。ただ、心の病という観点、あるいは人を生きづらくさせる要因という観点からは、まだしも一番重大なわけではありません。

 一番重大なのは、相手の気持ちを傷つけたくないという配慮のために、あるいは厳しい言い方をすれば断る勇気を持っていないがために、できないと分かっていながら断り切れないケースです。

 最終的に引き受けた課題や責任を果たしきれずに本人が潰れてしまうのです。結果として、頼んだ側にも迷惑が及んでしまいます。それでますます本人は気持ちが落ち込み、なおさら何もできなくなってしまうという悪循環を招くことになります。

 そこから抜け出すために「人の思惑を心配する前に、自分のことを心配しなさい」と基本的なアドバイスをするのですが、これがまた難しいのです。自分のことより相手のことを優先する心の習慣がしっかり根を張っているからです。しかもたいていの場合、この習慣の奥底に根深い不安や恐怖があるのです。

 「Noと言ったら、嫌われないか? 見捨てられないか?」という不安や恐怖。得てしてこういう人たちの周りにはこの心理につけこんで(頼まれればNoと言えないことを見透かして)、自分の頼みを押し付ける「友人」が寄ってくることが多いのです。