戦後の政界に偽札流通影響

偽札の流通を解説する館内の展示パネル。文書が廃棄され、関係者が堅く口を閉ざしたことから、いまだ解明されていない謎は多い

 元所員たちの技術協力は朝鮮戦争だけにとどまりません。朝鮮戦争と同様に、南北が対立したベトナム戦争でも技術協力がおこなわれていました。

 登戸研究所の偽札製造は、戦後の日本政界にも影響を及ぼしました。

「登戸研究所では中華民国の統一通貨『法幣』の偽札を製造していましたが、偽札は列車に積み込まれて、長崎や神戸などから中国の上海に運び、現地では民間の工作機関を雇って市場に流通させていました。偽札を市場に流通させるという重大な任務を民間の工作機関に委ねた理由は、偽札が見つかっても国家ぐるみでやっていたわけではないという体裁を整えるためです」(同)。

 現地で偽札の流通を手伝ったのは、阪田誠盛を隊長とする阪田機関などが有名です。そのほかにも、多くの工作部隊が偽札の流通を手伝っています。戦後に政界のフィクサーとして暗躍する児玉誉士夫が率いていた萬和通商も、中国大陸で偽札流通を手伝っていました。戦前期に海軍の武器や弾薬を買いつけて巨万の富を築いたとされる児玉は、大陸での偽札流通作戦でも莫大な利益を得ていたのです。

「児玉は偽札を使って、香港で紙幣の材料となる紙を購入しています。児玉が香港で購入した紙は、今度は逆に偽札を製造する陸軍に販売しています。偽札流通という任務で報酬をもらい、紙を陸軍に卸すことでも代金を得ていたのです。児玉のほかにも軍関係の仕事に携わっていた民間人はたくさんいますが、児玉が巨万の富を築けたのは、偽札流通のように一度で二度おいしい任務をこなしていたからではないかと推測しています」(同)。

 児玉は当時の金額で31億円もの資金を集めています。児玉が集めた資金の一部は、鳩山一郎が日本国民党を設立するために工面され、それは戦後に日本自由党の結党資金にあてがわれたともいわれます。日本自由党の総裁に就任した鳩山は総理大臣就任直前に公職追放の憂き目に遭い、日本自由党は吉田茂に引き継がれました。

 追放解除後に政界復帰した鳩山は、日本民主党を結党。そして、1955(昭和30)年に日本民主党と吉田が率いていた自由党が合流することになり、自由民主党(自民党)が誕生したのです。

 つまり、登戸研究所の偽札製造が自民党誕生の遠因になっている、ともされています。児玉は岸信介元首相や田中角栄元首相など、数多くの大物政治家と交流があったことも知られています。

 戦後70年以上が経過し、戦争や登戸研究所の記憶は遠くなっています。登戸研究所の偽札製造は、過去の歴史ではありません。

小川裕夫=フリーランスライター