銀座での公演写真を自室に飾っている。撮影は高橋清さん、演目は「念力」(C) 紀あさ

 時代はベトナム戦争のさなかで、5日前の国際反戦デーには新宿騒乱として知られる学生らと機動隊の闘争があり、路上活動への締め付けも厳しくなっていく頃だった。翌日同じ場所に行くと、踊りの途中で警官に中止を命じられた。尼ヶ崎は「今まで78回警察に捕まりました」と言うが、その第1回目。道に立って2日目のことだった。

 しかし翌々日は渋谷へ、やがて新宿へと場所を変えながら、時に警官に止められながらも、路上で踊り続けた。街頭には生きた空間があった。人の心とのふれあいがあった。

2017年新宿公演 (C) 紀あさ

 「舞台もいいですけど、華やかですけど、街頭ももっと華やかですよ。宇宙いっぱいの本当の生き生きとした大自然の中の、無限の空間がある自然の街頭。すごい感動がありますよ」とギリヤーク尼ヶ崎は言う。

 まだ街頭に立つ前に、父の故郷である秋田県の大館で暮らしたことがあった。神社の境内で、木々に囲まれての踊りの練習。夜には星を見上げながら、星と自分の気持ちがひとつにつながるまで集中した。体の重さも感じなくなり空いっぱいに自分の意識が広がっていくように、呼吸法を訓練した。風も見えてくる。今、街頭で踊るときも、そのときのように、踊る場所そのものと一体になるようにと、踊っている。

青空の下踊り続けた全国各地、初期の大道芸祭でも

「大須大道町人祭」1979年初出演時、夜公演(実行委員会提供)

 昨今は大道芸フェスティバルなどと銘打たれた、複数組の大道芸人が集まる催しで大道芸を目にすることが多いだろう。東北など日本各地を踊り歩きながらも、そうしたイベントとは一線を画してきたギリヤーク尼ヶ崎だが、日本の大道芸祭の礎を築いた初期の大道芸祭にいくつか出演していたことは興味深い。

自宅に保管されていた、大須の感謝状と静岡の賞状

 1978年に始まった名古屋市の「大須大道町人祭」は、「街は人にとって生活ドラマの舞台」との認識で下町大須の市民らにより手づくりされた。ギリヤーク尼ヶ崎は1979年の第2回から2010年の第33回までの間に合計29回出演。毎年、祭のトリを飾るのがギリヤーク尼ヶ崎の夜公演だったという。