大道芸ワールドカップパンフレット(実行委員会提供)

 1992年に始まり、海外アーティストも多く呼ぶ静岡市の「大道芸ワールドカップin静岡」には、93年の第2回から97年の第6回まで5回出演。うち4回は「オリジナリティ賞」を受賞した。初回から実行委員を務める事務局の中山昌彦さんは「ほかとは全く違う、ジャンル名すらつけがたい芸だった」と当時を振り返る。

室蘭で(米田俊彦さん撮影)、左写真の左側のポスターには「室蘭大道芸術祭」とある

 故郷北海道の各地を回るきっかけとなったのは、「芸能だって、商いだって、地べたこそ人間の原点」との発想で1978年に始まり13年間続いた北海道室蘭市の「大道芸術祭」だ。実行委員代表だった故・雨宮謙さんに声をかけられ、ギリヤーク尼ヶ崎は83年から参加。「大道芸ではなく、大道芸術なのがいいね」と話す。91年に資金難で中止となった折にも、現地に赴き、踊ることで祭りの継続を訴えた。かいあって翌年に祭りは復活、その後再度中止となっているが、この芸術祭を見にきた観客から札幌に誘われるなど各地への縁をつないだ。

パリ、ニューヨーク、世界の街かどで

左から、ニューヨーク、モスクワ、サハリン(本人蔵)

 国内だけではなく、早い時期から、海外での街頭公演も数多く行った。1975年に渡仏し32回の街頭公演、1978年には渡米し48回の公演。その後もアムステルダム、ベルギー、ソウル、エジンバラ、ロンドン、インド、モスクワ、中国・南京、サハリン、世界の路上で人間の悲しみや日本人の情念を踊った。外国語は話せなかったが、踊ることで、世界中の人たちと心を通じ合うことができた。

満身創痍で見えてきたもの

病院で手術前日の踊り(左)と、手術後(いずれも本人蔵)

 からだを地面に叩きつけるように、全身全霊をかけて踊る。それはまさに「身を削る」踊りだった。1978年、「老婆の姿で踊る」ためにすべての歯を抜き、48歳で総入れ歯。1982年、パリの石畳の上で舞い、両膝の半月板を損傷、翌年に手術。手術の時は、もう踊れなくなるのではないかと怖かった。手術の前日に病室に衣装を持ち込んで踊った。

 その後、ひざは回復したが、今度は心臓の病が襲い、2008年には心臓にペースメーカーを入れた。

左胸に見えるペースメーカー (C) 紀あさ

 二十数年前から動きに震えがでていたが、パーキンソンが一気に悪化したのは、2016年の初め。寝たきりになり、立ち上がることも叶わない。公演は10カ月間中断。一時は最期も覚悟したが、良い医師と出会い、症状を薬で緩和し、少しずつ震えがおさまってきた。