パーキンソン病の震えで困難になっていたメイクを、今月は部屋で自らの手で行なった (C) 紀あさ

 寝たきりの時期に腰が悪化し、脊柱管狭窄症と診断された。それまで80代とは思えないほどに伸びていた背筋を伸ばすことができなくなった。しかし腰のリハビリを受ける際に骨密度を測ったところ、20歳相当との判定。医師を驚かせた。

 鍛え抜かれた体と、病に蝕まれた体を併せ持ち、近年の踊りでは他人には真似の出来ない、えもいわれぬ動きが随所に見られる。

50周年に向けて

 50年間、日本各地や世界で踊り歩いてきたギリヤーク尼ヶ崎。徐々に公演場所が定まり、近年では1月に神戸で震災への祈りの踊り、4・5月=関西各地、5月=横浜、7・8月=北海道各地、10月=新宿、12月=川越での公演が定番となっていた。パーキンソン病の悪化で約1年間活動を休止した後は訪れる場所が減っているが、いずれも大切に思っている、踊り続けてきた土地だ。

 50周年を迎える今年は、5月3日の京都で500人ほどの観客に見守られて幕が開けた。

 京都公演を終えて、東京の自宅に戻って数日後、初期のギリヤーク尼ヶ崎を見守り、京都で踊ることを勧めてくれた俳優の近藤正臣さんと電話がつながった。

 話をするのは、どれだけぶりか。ふたりの声は、少し震えた。「50周年なんだよ」とギリヤーク尼ヶ崎が言った。近藤さんから、ギリヤーク尼ヶ崎の踊りを見る人へと、言葉を託された。

今も大切に持つ、20周年記念に近藤正臣さんから贈られたのぼり(京都公演観客撮影)

 「今、ギリヤーク尼ヶ崎が踊り続けていることに、どんなに驚いて、どんなに嬉しいか。つまり人って魂なんです。身体は不自由になっても、ギリヤークという男は、とてつもない魂をもっているから、もし椅子に座ってほとんど動けなくなっても、その魂を見てほしい。」

2014年横浜公演。頭から水をかぶるクライマックスは圧巻(写真集「伝説の大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎への手紙」より)(C) 紀あさ

 第2弾は5月19日。横浜・六角橋での公演は、2004年からほぼ毎年続いている。横浜在住の芸人がギリヤーク尼ヶ崎を熱心に誘い初演を実現したところ、大盛況。以来恒例となった。会場となる六角橋商店街のふれあい広場は決して広くはないが、遠くからの人にも見えるようにと、商店街事務局がプロジェクターも用意する。