神とともにある鎮魂の踊り

 1995年1月17日の阪神大震災の1カ月後、神戸での踊りはギリヤークの転換点となる。「お前の踊りなんか見たくない」という死者の声が聞こえるような気がして、一瞬踊りが止まってしまった。あらためて、場の思いに全身全霊で向かい合った。この日を境に「鬼の踊り」は「祈りの踊り」となった。

 2001年9月11日の1年後には、ニューヨークのグラウンド・ゼロで踊り、2011年3月11日の東日本大震災の後は3年間続けて宮城県の気仙沼で踊っている。

気仙沼での踊り(写真集「伝説の大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎への手紙」より) (c)紀あさ

 ニューヨーク渡航時に近藤さんから渡航費のカンパを受けたことを、ギリヤークは忘れていない。近藤さんの方は「グラウンド・ゼロで、その場で踊らなければいけないって言うんだ。踊りたい、じゃなくてね」と回想する。

 近藤さんはギリヤークを、冷静に見ながら、ごく深くまで受け入れる。

 「人が不幸になったところに行って、踊りたいんだよ。本来踊りって、そういうもんなんだ。神とともにあるので。鎮魂なんです」

「果たし合い」を果たしたい

刀のツバ (c)紀あさ

 50周年を前に、ギリヤークから近藤さんに伝えたいことが一つあった。かつて、近藤さんの自宅に招かれた時のこと。「僕、いの一番にこれが目に入って、踊りを振り付けるから貸してほしいって。」それからずっと借りていた刀のツバがあった。

 近藤さんは「俺、昔のことはほぼ忘れてるから。あなたすごいね」と言いつつも、「これが目に入ったのか。しゃあないな。目に入れられたんだから」

「俺はこっちがいいな」と近藤さん (c)紀あさ

 ギリヤークはずっと、最後にもう一演目、このツバを使った踊りを作りたいと思い続けてきた。その胸の内を初めて明かした。演目名は決めている。一人称で相手役のないチャンバラの踊り。あの日の約束を果たしたい。

 「いただいたツバでね。50周年に向けて “果たし合い”という踊りを作る」。パーキンソン病で震えるギリヤークの手の上でツバが震えている。

 近藤さんはそんなギリヤークの肩を抱く。「できたらやって、むりしちゃだめだ♪」と歌うように言った。「果たせたら、果たし合い。果たせなければ、化かし合い」そう笑う近藤さんは、芸人ギリヤークを知り尽くす、友人としてそこにいた。

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