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 CMの「お気楽ゴン太」や関西の人気バラエティ番組から聴こえてくる「ええ声ぇぇ~」でおなじみのナレーター、畑中ふう(55)は、学生のころからナレーター志望かと思いきや、大学時代は放送部で制作部門志望だった。東京に出て劇団員をやるなど、声を生業にするとは夢にも思っていなかったという。今や「関西No.1ナレーター」と呼ばれるまでになったが、その礎は「たくさんの人と出会えたからこそ」と振り返る。

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制作志望もきれいな先輩のひと言でアナウンス部に

[写真]最初からナレーター志望じゃなかったと話す畑中ふう

 1959年大阪府枚方市生まれ。中学生のころは、毎週日曜日に放送されている競馬を見てアナウンサーの実況を聴くのが楽しみだった。小学校のころから学校の「放送部」に興味はあったが、なんとなく暗い感じから「関係ないわ~」とスルー。高校時代も実家が運送業だったため中元や歳暮でお手伝い、学校帰りに友達としゃべってんのがいちばん楽しい、本人曰く「平々凡々」な学生だったという。

 1浪して大学入学。その浪人時代「次アカンかったらどないするか」と考えた時に、自分がテレビばっかり見てる「テレビっ子」ということに気づき、それを生業にすることを考え始めた。大学の入学式当日、すぐに放送部の門を叩いた。

 同部内では、番組制作・音響部門・アナウンス部門などがあり、畑中は即座に「制作」を志望。だが、その時、上級生の女性が「畑中くん、ええ声してるわぁ。アナウンス部においで」と言われ、即座に「はい、いきます」と答えいきなりの方針転換。「そらきれいな人に声かけられたら変わるがな」と笑顔で当時を振り返る。

 放送部ではアナウンス練習の日々。時にはイベントの司会をするなど技量に磨きをかけた。「周りはみんな放送局のアナウンサーもどき。みんな大人やんけーと思って」。高校時代とは環境が激変、だが、これが刺激となり現在に続く「畑中ふう」が覚醒。クラブ以外でも学生自治などに参加し「大人社会のプチ版」という大学生活を楽しみ、放送部ではアナウンス部長も務めた。

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