「僕は新世界で生まれ育ったんですわ。遊び場は動物園やったし、通天閣を中心に回ってました」と元気に語るのは通天閣観光社長の西上雅章さん(65)。自らを「新世界っ子」と話す雅章さんが6歳のころ、自宅のすぐそばに現在の通天閣(2代目)が完成。生活でずっと目の当たりにしながら育ってきたという。きょう3日は通天閣の開業記念日。社長就任時から業績を伸ばし100周年での事業を成功させるなど手腕を見せてきた雅章さん。だが、今はこう話す「子どものころは僕が通天閣の社長になるとは思ってませんでしたわ」

生活の中にあった通天閣 幼少期の父との会話にも

[写真]奥さんお手製というお気に入りの金のジャケットとビリケンさんのかぶり物で出迎えてくれた西上雅章社長

 実家は新世界の「ジャンジャン横丁」で食堂を営んでいた。自宅は通天閣の北側に位置し、食堂は南側。小学校への通学、当時の自身の「遊び場」だった天王寺動物園や天王寺公園、店へ行く時など、どこでも通天閣は視界に入っていた。

 「そりゃあずっと目の前にあるもんですから。通天閣を中心に移動してましたね。日に4回チャイムがなって、夕方なんかはそれを合図に家へ帰ったり。夜になったらネオンの明るさが印象的でした」。そんな中でも、よく覚えてるのは日本一大きな「時計」と「寒暖計」だ。時計は現在もあるが、寒暖計を知る人は少ないかもしれない。

 「いちばん最初に出来た時、(現在、広告が表示されている)西面に寒暖計があり、もちろん『日本一』大きな寒暖計でした。今からでは想像できないかもしれませんね」。そして、当時から輝いていたのが「日立」の看板。これは、財務的に厳しかったため大阪にゆかりのある企業に「看板を出して」と声をかけたが、どこからも良い返事がなかった。だが、日立はそれを快諾し、現在まで59年間それは変わっていないという。

 雅章さんにとっても、日立の看板にもいろいろな思い出がある。「通天閣が出来た時、看板に『日立ポンプ』『日立モートル』って書いてあって。父親の一さんに『モートルってなに?』って聞いたら『それはドイツ語でモーターという意味や。日立のモーターは電車を動かしたり優秀やねんで』と教えてくれました」。そんな他愛ない父子の会話だったが、今でもその時の情景は目に浮かぶという。「昔からずっとある日立さんの看板。それを思うと日立さんと通天閣はさびた包丁の関係。つまりは『切っても切れない関係』ですわ(笑)」