大阪城天守閣(大阪市中央区)が今月5日時点で、1983年度に記録した年間最高入館者数212万4790人を32年ぶりに更新した。その後も勢いは衰えず、今月末の年度末には、最終230万人前後まで大幅に記録を伸ばすもようだ。関西再生の手応えがなかなかつかめない中、歴史的快挙達成の要因は何か。布石は10年前に打たれていた──。

幸村と信幸 大阪城天守閣で真田兄弟の甲冑並び立つ

2006年上田城と友好城郭提携に調印

[写真]記録更新を記念する大入り袋とポストカード

 「新しい歴史ムーブメントは自分たちで起こしていく。そのために長期的視点としっかりした準備が欠かせない」

 北川央大阪城天守閣館長が力強く言い切る。館内は現在、真田信幸(信之)、幸村(信繁)兄弟の甲冑が並び立つ「真田幸村をめぐる人々」展でにぎわう。NHK大河ドラマ「真田丸」と連動した企画ではあるが、大阪城天守閣と幸村との出会いは10年前までさかのぼることができる。

 2006年10月10日、大阪城と信州・上田城が友好城郭提携に調印。真田一族が拠点を構えた上田市と、幸村が活躍した大坂の陣の舞台となった大阪市が連携し、観光や生涯学習、物産など幅広い分野での交流を促進するものだ。

 大坂の陣は1614年の冬の陣、翌15年の夏の陣で構成される。大阪城天守閣で調印式が行われた10月10日は、幸村が幽閉されていた紀州九度山から大坂城へ入城した記念日だった。現在の幸村ブームからみれば、タイムリーな提携ととらえることができそうだが、当時の注目度は必ずしも高くはなかった。

 「大坂の陣に関しては、熱心な歴史ファンをのぞいて、さほど知られていなかった。幸村もドラマ放映などがあると人気が急上昇するものの、知名度にはばらつきがみられた。しかし、大坂の陣400年事業を仕掛けるには、時間は十分ある。幸村の知名度を活用しながら、大坂の陣400年に向け、徐々に認識度を高めていくことにしました」(北川館長)

 北川館長率いる天守閣チームが、平成の大坂の陣を視野に入れた瞬間だった。

武士たちの判断と行動を読み解く落城ドラマ

[写真]「『大坂の陣』の次のテーマは『明治維新』」と意気込む北川央大阪城天守閣館長館長

 大阪城天守閣では、2014年、15年の2年間を「大坂の陣400年イヤー」と位置づけ、前年の13年から「大坂の陣400年プロジェクト」に取り組んだ。さらに今年は「真田丸」と連動した展開という具合に、畳みかけていく複数年波状作戦が功を奏した。

 従来までの最多入館者数を記録した1983年度は、「大阪築城400年まつり」が開催された。豊臣秀吉による大坂城築城を顕彰する一大イベントだった。この年度を除いて、年間入館者数が200万人の大台に乗ることはなく、100万人台前半で推移していた。いつしか関係者の間では「大阪築城400年まつりの記録は2度と破れない」との観測が強まった。

 築城がテーマの大阪築城400年まつりに対し、大坂の陣400年プロジェクトは、いわば大坂城の落城がサイドストーリーとなる。しかし、北川館長は「大坂城が落城に至るまでに、武将たちがどんな判断をし、どのように行動したのか。歴史ファンならずとも興味は尽きないはず」との確信を持っていた。

 北川館長ら学芸員が講演依頼やメディアの取材に応じるたびに、さりげなく大坂の陣400年プロジェクトに言及し、情報提供や機運醸成に努めた。さらに北川館長は「(入館者数が)築城で200万人なら、落城でも200万人」と、周囲を鼓舞し続けた。すると、「スタッフが段々その気になってくれた」と、うれしそうに振り返る。