[写真]大坂夏の陣で真田幸村が描いた作戦計画を読み解く千田嘉博奈良大教授

 NHK大河ドラマ「真田丸」が大坂城を舞台にクライマックスを迎える中、歴史フォーラム「豊臣大坂城と真田幸村」がこのほど、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれた。豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣を掘り起こして公開する豊臣石垣公開プロジェクトの一環。詰め掛けた幸村(信繁)ファンらがメモを取るなどして、熱心に聞き入っていた。

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スカウト条件「巨額の契約金+50万石の大大名」

[写真]歴史フォーラム「豊臣大坂城と真田幸村」のパネルディスカッション

 北川央大阪城天守閣館長と、城郭考古学者の千田嘉博奈良大学教授が基調講演。北川館長は幸村関連の古文書を紹介しながら、幸村の人間像に迫った。関ヶ原合戦で敗北した昌幸・幸村父子は九度山へ幽閉された後、経済的困窮が深まっていく。

 昌幸は1月5日付けの書状で長男信之に「借金もかさみ、このままでは1年持たない。早く残りの仕送りを送ってほしい」と、新年早々から窮乏を訴えていた。昌幸が懇願した仕送りは20両で、現在の金額で600万円だった。

 幸村らが苦しんだのは、経済的困窮ばかりではない。心身の衰えも忍び寄る。幸村は「とてもくたびれてしまった」「歯が抜け、ヒゲも白くなった」と嘆く。しかし、大坂の陣を前に大坂城入城を決意した幸村を、豊臣秀頼は破格の厚遇で迎え入れる。

 「秀頼が提示した条件は、支度金だけで黄金200枚、銀30貫。現在の金額で7億5000万円に相当する巨額の契約金で、幸村はスカウトされたわけです」(北川館長)

 借金まみれで当座の生活費にも困っていた幸村だけに、大いにモチベーションが上がったに違いない。大坂の陣に勝った場合の論功行賞もすごい。秀頼は幸村に知行50万石の大大名抜擢を約束していた。豊臣方有力武将では最上位の扱いだ。幸村に対する秀頼の信頼の高さや期待の大きさを物語る。

 一方、大軍で攻め込む徳川方は、幸村をどのようにみていたのか。

 「真田が大坂城へ入城したとの一報が届いた際、家康は『籠城したのは父親か息子か』と、繰り返し質した。父親はすでに病死していたと知って、家康は安堵する。家康が怖れたのは昌幸で、幸村はさほど評価していなかったようだ」(北川館長)

 大坂の陣が開戦すると、家康は幸村の機略や猛攻に苦しむ。幸村軽視は、用心深い家康にとっては、珍しい油断だったかもしれない。

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