[写真]今年俳優生活40周年を迎えた妹尾和夫(撮影:柳曽文隆)

 関西で朝からテレビをみていると、この記事の写真の白髪頭のおっちゃんが、通販番組で司会進行する姿を見かけるという人も多いだろう。この人の名は妹尾和夫。「せのぶら」(2010年~2014年・ABC朝日放送)というテレビ番組では、各地をまちぶらしては人とふれあったり、ラジオ番組では泣いたり笑ったり楽しいトークでリスナーを喜ばせる。バラエティ豊かな人物だが、本業は俳優である。しかも、今年で俳優生活40周年を迎えたという。マルチに活躍している妹尾和夫が、なぜ俳優やタレントとして活躍しているのだろうか。きょうから始まる連載で、これまでの軌跡や横顔を綴っていくことにする。

<しゃべってや~>「せのぶら」妹尾和夫 お笑いスター誕生や悪役時代

演劇に触れたのは高校の寮生対抗演劇大会で

 先週、大阪市福島区にある妹尾和夫が主宰する「劇団パロディフライ」の稽古場兼事務所を訪ねてみると、多くの俳優らが集まり稽古に励んでいた。なんでも同劇団の公演「コペルニクスさん家はおとなりです。」が来月に迫っており、妹尾をはじめとする劇団員らは小道具の準備から音響チェック、そして演技練習を行うなど大忙しだ。

 それを真剣な表情で見つめる妹尾の表情は、いつもテレビ番組で見かけるものとは一変、真剣そのものだ。妹尾がパーソナリティを務めるラジオ番組で「今年で俳優生活40周年を迎えた」と聞き、さぞかし少年時代から俳優というのもを目指して頑張ってきたんだろうなと思い聞いてみると、意外な答えが返ってきた。「初めて演技をしたのは、高校時代の演劇大会に出ることだったんですわ」

 というのも、妹尾が通っていた高校は全寮制で、寮の中では全国各地出身の寮生が関東や近畿といったブロックごとにグループが分けられており、そのグループ対抗の演劇大会が行われた時、妹尾は近畿ブロックの団長という立場だったため「なんとしてもブロックの優勝を獲るで~」という気持ちで演劇に取り組むことになったという。

野次に翻弄、客席に背を向け演技

 それまで、テレビドラマなどにもほとんど興味はなかった。演技というものにもふれたことはない。しかし、演技に対しては「大阪の出身で、なんば花月とか梅田花月とかで吉本新喜劇を見て育ってるから、いろいろできそう」と、今思えば安易ではあるが自信を持っていたという。

 時代はちょうど1960年代後半。世の中は学生運動が各地でさかんに行われていた。経験はないものの「団長」として書いたこともない脚本にも挑戦。浮かんだタイトルは「天王寺の光」。生まれも育ちも大阪市大正区の妹尾は、なにげに天王寺を舞台にして、権力に立ち向かう学生たちの姿を描いた物語を作った。

 そして、いざ本番。妹尾は権力に負けないたくましい学生を演じる……はずだったが、思惑ははずれた。当時、団長を務めるなど目立つ存在だった妹尾は、舞台に出た瞬間、観客である同級生らから、とてつもない「野次」をあびた。「いや、舞台に出るとみんな知ってるもんどうしやし、なんというかふざけて最初は野次とばすんですよね。僕なんかふざけて『出っ歯』とかいわれてね(苦笑)。それですごい緊張してしまったのを覚えています」

 無論、演技も脚本も、そして舞台に立つのも初めてだった妹尾は、そんな状態で演技をすることはまったくできず。その野次に翻弄され、とうとう客席に背中を向けて演技をするという結果となり、苦しい20分の演劇は終了してしまった。

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