[写真]公演への意気込みを語る六代目竹本織太夫さん=大阪市中央区の国立文楽劇場で(撮影:柳曽文隆)

 大阪市中央区の国立文楽劇場で3日、初春文楽公演が開幕。この公演では「八代目竹本綱太夫 五十回忌追善」と「豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露」が併せて行われる。師匠である豊竹咲太夫さんの父、八代目竹本綱太夫の前名を六代目として襲名する竹本織太夫さん(42)は、本公演や稽古をこなしながら、同劇場近くの小学校で長年にわたり文楽学習の講師を担当。テレビ「にほんごであそぼ」の浄瑠璃のコーナーでも活躍している。そんな次代の文楽を担う太夫の横顔に迫る。

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文楽を観れば観るほど「太夫」に憧れた少年時代

 織太夫さんは1975年生まれ。祖父は文楽三味線の二世鶴澤道八、人間国宝の鶴澤清治を叔父にもつ。この世界に興味を持ったのは、祖父の影響を受け4歳から三味線を始めたころだった。

 「最初は習い事としてやっていたけど、やりながら毎週のように朝日座(大阪道頓堀にあった劇場)に通っては舞台を見ていました。その後、祖父と道頓堀周辺で外食するのも楽しみのひとつだったんですけどね」と当時を振り返る。

 ただ、文楽の舞台を観れば観るほど「太夫」の存在への憧れが増した。「汗をかいてのびあがって時代物を語っている姿をみると、がんがん・びんびんに伝わってくる。言葉は難しくてわからないことであっても、劇場内の空間を支配してる太夫さんってかっこいいなぁと思ったことが(憧れた)理由ですね」

8歳で豊竹咲太夫さんに入門、11歳で初舞台

 そして、8歳の時に豊竹咲太夫さんに入門。豊竹咲甫太夫を名乗り、86年、11歳で国立文楽劇場で行われた素浄瑠璃の会、『傾城阿波の鳴門・順礼歌の段』のおつるで初舞台を踏んだ。

 初舞台のことは現在でも覚えている。客席をみたら知っている顔がいっぱい。その時の様子を伝える演劇情報誌には「会場内に知人をみつけたのか、ニッコリと笑う大物ぶり」と書かれたこともあり、鮮明に覚えている。

 きっかけを作ってくれた祖父は7歳の時に亡くなった。しかし、祖父と修行時代から一緒だった仲間が劇場内にたくさんいて、竹本越路太夫や竹本津太夫といった名人も「みなさん自分の孫のようにかわいがってくださいました」と当時を振り返る。

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