[写真]コント・パロディフライで1983年、「お笑いスター誕生!!」に応募。中央は妹尾和夫。左はメガネこと神谷光明、右はペコ(劇団パロディフライ、コペルニクスさん家はおとなりです。パンフレットより)

 妹尾和夫は日本大学を卒業後、故郷の大阪へ戻って俳優活動を開始。努力を重ね全国放送の時代劇などに出演していた。それをテレビでみた妹尾の大学演劇部の後輩、神谷光明は即座に妹尾に電話。後に妹尾とお笑いグループを組んで心斎橋の劇場で活躍。今回はそのお笑いグループでの飛躍ぶりを記す。

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ネタづくりに追われる日々、たまたま見たお笑いスター誕生

 妹尾と神谷、それに、妹尾のもう1人の後輩の梅山の3人で組んだ「コント・パロディフライ」は、心斎橋の小さな劇場でコントを披露し、その活躍ぶりが新聞にも掲載されるほどの人気を博していた。

 しかし、人気がでるのと同時に「ネタづくり」に追われるようになった。妹尾の自宅近くにある公民館で3人そろって稽古を繰り返し、劇場で新たなコントを披露する日々が続いた。ある日、神谷から「いつまでこれを続けるのか」という声があがった。妹尾も同じ思いを持っていた。

 妹尾は当時の様子を思い浮かべながら「1か月で1時間半の作品を作り続けるのって、すごく大変でした。舞台での評判はよかったのですが、これでいいのかという思いも強かった」と振り返った。

 3人が稽古に行き詰まり、休憩中にテレビをつけたら笑い声が響いてきた。番組のタイトルは「お笑いスター誕生!!」。当時、人気のお笑いオーディション番組で、同番組からはその名の通り、現在でも活躍中の多数のお笑いスターが生まれた。

愛嬌のある「松尾ペコ」の加入

 妹尾は「これ、やろか。テレビに出られるし影響もすごいし」と提案。神谷は賛同したが、梅山は「お笑いはいいです」と断ってきた。これまで、パロディフライのコントは神谷と梅山の芝居力があるからこそおもしろいと思っていた妹尾だった。

 しかし、無理強いはできない。そこで、所属するMC企画からメンバーを探すこととなり、おもしろそうな人材が見つかった。「松尾ペコ」という女性だった。

 男性2人、女性1人体制となったコント・パロディフライで1983年、「お笑いスター誕生!!」に応募。オーディションを受けると、あっという間に合格。本選に出るチャンスを得ることができた。松尾ペコは芝居力がなく、セリフは棒読み状態。しかし、愛嬌があった。

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