[写真]俳優生活40年を迎えた妹尾和夫(撮影:柳曽文隆)

 1983年、人気テレビ番組の「お笑いスター誕生!!」で5週勝ち抜きの「銀賞」を獲得した妹尾和夫率いる「コント・パロディフライ」は、その後、様々なテレビ番組やイベントに声がかかるようになっていた。

妹尾和夫 横山やすしさんに言われた「おまえらは底の底じゃ」

東京では「石井光三オフィス」で活動

 この時、3人は先述の通り芸能事務所「MC企画」に所属していた。しかし、主な活動拠点は東京。当時のMC企画は関西を中心にマネジメント業務を行っていたため、妹尾は東京でどのように活動を広げていくか考えていた。

 そんな時、ある芸能事務所が浮かんだ。それは「コント赤信号」や「コントレオナルド」がいた「石井光三オフィス」だった。しかし、妹尾にはツテがない。そこで、コントレオナルドが出演していた劇場の外で関係者が出てくるのを待った。そして、代表の石井光三さんの姿を見つけ駆け寄った。

 妹尾は用意したコント・パロディフライのプロフィールを石井さんに見せた。すると、石井さんはペコの写真を見て「きれいやなぁ。よっしゃ、(面倒を)みたろ」と言ってくれた。MC企画には「東京での活動の時だけ、石井光三オフィスでやらせてください」とお願いし了承を得た。

先輩、渡辺正行に学んだこと

 「東京での活動は人の目にふれる機会が多い」。妹尾の胸は夢と希望で膨らんでいった。しかし、いきなり挫折を味わうことになる。それは、東京都千代田区にあった「日劇ミュージックホール」の舞台に出た時だった。いつもの舞台なら、コントをやれば、それなりに笑いがとれていたのに、客席からは笑い声が全く聞こえない。その時、妹尾らは異変に気づいた。よく見ると、客席は外国人観光客で埋め尽くされていた。

 「それでも先輩たちは笑いをとっている。なぜ自分たちはダメなのか」。妹尾とメンバーの神谷光明は悩んでいた。そこで、妹尾は石井光三オフィスでの先輩、渡辺正行にそのことを相談した。すると、渡辺は「なんだ、それなら英語でやればいいじゃん。中学くらいの英語ならできるだろう? きょう俺がやるから見てみな」とアドバイスをくれた。

 さっそく妹尾は、コント赤信号の舞台をみた。渡辺は「ディスイズコント、アイアム、リーダー」といった具合に観客に向かってコントを開始。すると、会場はあっという間に笑いに包まれた。「こういうことか」と妹尾たちは、この感覚をつかもうと必死で見つめていた。後に、それを実践すると笑いをとれたことは今でも覚えている。