土方歳三資料館

 東京都日野市の「土方歳三資料館」には、土方歳三の若き日の姿や志、新選組副長としての日々にまつわる品々が展示されている。春の大型連休を中心に多くの人が集まり、歳三のありし日に想いを馳せる。

【連載】新選組のルーツを訪ねる

歳三が相撲の稽古をしたという大黒柱も

旧母屋の大黒柱

 京王電鉄高幡不動駅から北へ歩くこと約15分。多摩川の支流・浅川を経て静かな住宅街に入ると、土方歳三資料館が現れる。

 歳三は天保6年(1835)5月、武州多摩郡石田村(現在の日野市)の農家に、10人兄妹の末っ子として生まれた。弘化2年(1846)6月末、多摩川と浅川の洪水に見舞われて、土方家は元の家から現在の資料館の場所に移転。以来、文久3年(1863)1月に江戸、そして京へ旅立つまでの若き日をおおむねこの地で過ごした。

 歳三が暮らした母屋は平成2年まで存在したが、老朽化のため新しい住居に建て替えられた。以前から、歳三の家を見たいというファンがたびたび訪れたことや、歴史資料の公開を望む声も方々から寄せられたことから、土方家は住居の一部を資料館とすることを決め、平成6年に開館した。

歳三が植えたとされる竹

 資料館入口部の梁は、母屋を支えてきた大黒柱が用いられている。この柱に向かって、歳三はよく風呂上がりに相撲の張り手を行って体を鍛えたという。改めて漆黒の梁を見上げると、確かに張り手をしても十分受け止めてくれそうな重厚感を感じた。

 建物の右側には、歳三が17歳か18歳のころに植えたという茎の細い竹が、今も生い茂っている。これらは「矢竹」と呼ばれ、昔から矢に用いられてきた。植えた時、歳三が「将来我武人となりて、名を天下にあげん」と宣言したという。武士になりたい、という若き日の思いがひしひしと伝わってくるエピソードだ。

 また、館内には、歳三が家業である薬の行商で使用した薬箱が展示されている。これを背負って400件以上の客先を配達して回ったというから、家業の手伝いはしっかりする人だったようだ。このほか、歳三直筆の書簡や、池田屋事件で使用したとされる鎖帷子、8月18日の政変時に使用した鉢金、稽古に使用したという木刀などもあり、歳三の若き日から新選組時代までをしのぶことができる。

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