ソースカツ丼の“元祖”をめぐる論争が、かつてテレビ番組や雑誌の誌面を賑わせていた記憶があるけれど、この論争はだいたい決着が着いている。東京・早稲田が発祥という説だ。西洋料理研究のため、ドイツで修行していた福井県出身の高畠増太郎が大正2年(1913年)、早稲田大学前の鶴巻町に店を開いたのが始まりという。その屋号を「ヨーロッパ軒」といった。

【連載】福井県ゆかりの店 in 東京

ソースカツ丼のルーツ「ヨーロッパ軒」

大正2年にルーツを持つヨーロッパ軒のソースカツ丼

 開店から10年後の大正12年(1923年)、関東大震災が起きて店舗は倒壊。高畠増太郎は故郷に戻り、福井市順化の片町通りに現在の総本店を構えた。屋号は今も変わらない。福井の人にとっては、昼食や出前では欠かせない存在で、同店のことを親しみを込めて「パ軒」と呼ぶ。

 片町通りは、いまとなってはだいぶ寂れてきてはいるが、福井県随一の繁華街だ。その通りの中心に総本店があり、福井を訪れると、まずはこの店を目指すという観光客も少なくない。ご当地グルメとして知名度が上がってきたせいか、店の前には行列ができていることもある。ゴールデンウィーク中などは、1日に800食近くのソースカツ丼が提供される。

 店内の壁には芸能人らの色紙がここぞとばかりにはられてにぎやかで、席数16の店内1階は、昔ながらの洋食店らしい、こじんまりとした雰囲気だ。

昭和42年のヨーロッパ軒総本店(提供写真)

 この店を訪れた人たちは、ほぼ迷わずにソースカツ丼を注文する。運ばれてきた丼鉢のフタを開けると、厚さ8ミリにスライスされたロースとモモのカツ計3枚が覗き、湯気とともに酸味の効いたソースの香りが鼻を抜ける。パン粉はきめ細かく、ラードで揚げられている。カツの上にソースをかけるのではなく、ソースにくぐらせているというところがポイントだろう。長野・駒ヶ根のようなキャベツの千切りは盛られていない。

 ヨーロッパ軒に限らず、福井県内で提供される「ソースカツ丼」には、店によっていろんなバリエーションがある。厚めの肉が使われていたり、サクサクの衣で揚げられていたりと、店のこだわりや工夫が込められている。ただ、すべての店に共通するのは、基本的にソースカツと白米だけで作られているということだ。

 だから、福井を訪れた観光客や出張族が驚くのは、「カツ丼」を注文すると、どの店に行っても必ず「ソースカツ丼」が提供されることだ。玉子とじのカツ丼は、そのように注文しないと出てこない。