新正堂の店頭。平日だというのに列ができていた(撮影:たなかみえ)

 JR新橋駅烏森口から左へ進んだ新橋4丁目交差点から、虎の門の新たなランドマーク「虎の門ヒルズ」を結ぶ新虎通り(通称、マッカーサー道路)に面して、御菓子司「新正堂(しんしょうどう)」はある。平日だというのに、店の前には会社員らしき人たちの列ができている。目当ては、謝罪のときに持参するのにぴったりと、さまざまなメディアで取り上げられている「切腹最中(せっぷくもなか)」だ。

異業種から和菓子屋の跡継ぎに

新正堂は大正元年創業。大正12年の店の写真が店内に飾られていた(撮影:たなかみえ)

 今でこそ、東京の名店として知られる「新正堂」だが、現社長で3 代目の渡辺仁久さんがこの店を継ぐ決心をしたのは、今から約30年前。当時、兄と共に父が経営していた名古屋の印刷会社を受け継ぎ、仕事も生活も安定し始めた頃だった。

 妻の則子さんから、実家の新生堂が廃業するという話を聞き、東京に駆けつけた。その時、2代目から「菓子屋をやらないか」と持ちかけられたそうだ。

 「私は三男だったので、懇願されたら“やらない”とは言えなかった」と渡辺さんは当時を思い返す。和菓子に関して、全くの素人だった渡辺さんは、昼間は新正堂で働きながら、夜間は製菓学校で和菓子と洋菓子の基礎を学んだ。

 その頃、新正堂の人気商品は豆大福だった。他店がこしあんならばと、売り出したつぶあんの豆大福は、新正堂の看板商品だったという。

「切腹最中」という商品名に家族は猛反対

皮からはみ出すほどのたっぷり粒餡に求肥入り「切腹最中」(撮影:たなかみえ)

 渡辺さんが新正堂を継いでしばらくすると2代目が他界。

 「今度は自分でヒット商品を作りたい」と意気込んで考案したのがこの「切腹最中」だ。実は、現在の場所に移転する前に新正堂があったのは、忠臣蔵でおなじみの田村屋敷の跡地。まさに浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した場所だったのだ。そこからひらめいたのが、忠臣蔵にちなんだ名前で、お土産に最適な日持ちのする最中だった。

「切腹最中」のこだわりの餡。純度の高い砂糖を使用している(撮影:たなかみえ)

 しかし、病院の見舞客が立ち寄ることも多いため、「切腹とは何事か」とこの奇抜な商品名に家族は猛反対した。それでもあきらめきれなかった渡辺さんは119人にモニター調査を実施した。最中を食べてもらって、味、形、商品名などについての意見を聞いたのだ。その結果、1人を除いた118人が、この商品名には違和感を示した。

 「唯一、名前に興味を示しくれた人のことは今でも忘れられない」と渡辺さんは笑う。

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