東京・日本橋の上空には、1963(昭和38)年に完成した首都高速道路が走っています。このほど、国土交通省は日本橋上空の首都高を撤去し、同区間を移設する計画を発表しました。日本橋上空の首都高を移設する計画は、10年ほど前にも浮上しています。政府や東京都、地元の中央区といった行政をはじめ日本橋周辺の住民や社屋を構える企業などが一体となって議論を進めてきました。

 当時、日本橋の移設計画には約5000億円もの莫大な費用が見込まれたことから、計画は頓挫しています。しかし、10年以上もの歳月を経て、再び日本橋上空の首都高を移設して、青空を取り戻そうとする動きが活発化してきました。一度は諦めることになった計画が、再び浮上した背景にはどんな経緯があるのでしょうか?

1964年東京五輪のためのインフラ整備で建設

道路の起点にもなっている日本橋。この界隈は老舗が並び、たくさんのビジネスマンが闊歩する

 東京駅・神田駅から徒歩10分の地点にある日本橋は、江戸時代に町人などでにぎわい、徳川家康が街道整備の起点と定めました。以降、時代が移り変わった現在でも、日本橋は道路の起点として受け継がれています。

 そんな日本全国の道路ネットワークの軸となっている日本橋の上空には、首都高が走っています。この首都高は、1964年に開催される東京五輪のためのインフラ整備の一環として建設されました。

 しかし、日本橋界隈の住民や企業から「江戸のシンボルでもあった日本橋を覆うような首都高は都市景観として好ましくない」という指摘がなされており、日本橋上空に青空を取り戻そうとする運動が長らく続けられていました。

既に五輪翌年、名橋『日本橋』保存会発足

「『日本橋上空の高速道路が都市景観上好ましくない』という意見は、実はかなり早い時期からありました」と振り返るのは、中央区都市整備部地域整備課の担当者です。

 東京五輪が終わり、その余韻も冷めやらぬ1968年には、町内会や商店街、個人、企業による「名橋『日本橋』保存会」が発足しています。

「同会は日本橋の歴史を後世に伝えるとともに、清掃活動によって日本橋川の水質浄化といった取り組みをしています。今般、報道されている日本橋上空に青空を取り戻そうという活動にも熱心に取り組んでいます」(同)。

 日本橋に青空を取り戻そうと活動しているのは、ほかにもたくさんあります。日本橋を拠点にしている企業や商店が1999(平成11)年に結成した「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」や地元NPOなど、たくさんの団体が署名や請願活動などをしています。

 そうした動きに触発されるように、国土交通省も2002年に「東京都心における首都高速道路のあり方委員会」を発足させました。また、小泉純一郎総理大臣(当時)が日本橋の移設検討を指示したこともあり、日本橋再生を目的とした首都高移設の議論は本格的に動き出したのです。

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