母校である東京都港区立高輪台小学校に花を寄贈した歌手・黒木じゅん(撮影:志和浩司)

 歌手・黒木じゅんが8月31日、「いのちの花だから」の発売を記念し、母校である東京都港区立高輪台小学校に花を寄贈した。高輪地区は花植えが盛んなエリアということもあり、同校でも6月から保護者を中心としたボランティアが花植えを行い、子どもたちが心を和ませて登校できる環境作りを始めた。今回、それを知った黒木が「お世話になった母校に花をプレゼントしたい。子どもたちに新学期を気持ちよく迎えてほしい」と申し出たもの。

母校・港区立高輪台小学校は土地柄、芸能関係者が多かった

 黒木は1966年、東京出身。5年ほど前から、同校の同窓会で歌を歌ってきたという。

 「同じクラスに島倉千代子さんの甥っ子さんがいらっしゃったり、地域柄、芸能関係者が多かったですね。先輩には関根勤さんがいらして。そのまた上にうちのオヤジもいるんですけど」

 父親は往年の大ヒット「霧にむせぶ夜」を持つ、昭和ムード歌謡の第一人者、黒木憲。親子2代にわたり同校の出身だ。

 「父は忙しくて家に帰ってこない。お父さんとみんなで一家団欒したい、それが子ども時代の夢でした。だから、歌手にだけはなりたくなかったんですけどね」

華々しいデビューから一転、売れない歌手へ 目指すは紅白出場

ボランティアの保護者らと花を植える、黒木じゅん(撮影:志和浩司)

 ところが小学生のころ、萩本欽一が司会する「オールスター家族対抗歌合戦」に出るなどし、歌うことが好きな自分に気づいたのだとか。

 「中学生になると、少しずつ歌手になりたいと思うようになりました。でも、父は大反対。公務員になれと言うんです」

 かわいい息子に苦労をさせたくない親心。しかし、結局は、父と同じ歌手の道に。1991年、「やせがまん」でデビューすると、父も取れなかった日本レコード大賞の最優秀新人賞に輝いた。なんと、同年の新人賞13タイトルを獲得するという華々しいデビューだった。

 父は2006年に死去。以後、黒木の名を背負い、紅白出場を一つの目標として、妻でフリーアナウンサーの中尾美穂とともに精進している。

黒木じゅんと篠原敦子校長を中心に集まった保護者らボランティア(撮影:志和浩司)

 先月、TBS系のドキュメントバラエティー「結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち」に夫婦で出演。デビューこそ華々しかったが、近年はヒットに恵まれていないことを隠さず、”売れない歌手”としての登場だった。物販用グッズを自宅で手作りで製作している様子なども放送されたが、そこに暗さはみじんもない。笑顔に嘘がなく、明るいのだ。夫婦ともに幸せな笑顔でいられるのは、常に前に向かっているから。まさに「いのちの花だから」

 新学期が始まった。黒木たちが植えた花を傍らに、子どもたちは気持ちよく登校している。

(取材・文・撮影:志和浩司)

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