[写真]小笠原諸島・父島の集落(提供:小笠原村役場)

 1968(昭和43)年に小笠原諸島(東京都小笠原村)が日本へ返還されてから、6月26日で50年を迎えた。「東洋のガラパゴス」と称され、貴重な動植物の楽園でもあるこの島々は、現在、船しか日本本土への交通手段がなく、空港建設は島民らにとってまさに悲願だ。しかし幾度も頓挫し、結局いまだに構想段階のままだ。浮かんでは消えてきた小笠原の空港建設計画の歴史を振り返る。

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浮かんでは消える計画

 小笠原諸島は、東京から約1000キロメートル南の太平洋上にある。太平洋戦争で激戦地となった硫黄島や日本最東端の南鳥島、最南端の沖ノ鳥島など大小30余の島々からなる。現在、人が生活しているのは父島と母島のみ。合わせて約2600人が住み、村役場は父島にある。戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、23年後の1968年6月に日本に返還された。

 この島々に向かう交通手段は、竹芝桟橋(東京都港区)から父島の二見港を結ぶ定期船のみ。おおむね6日に1回のペースで運航され、到着には24時間かかる。命に関わるような急病や大ケガの際、村民は自衛隊機で日本本土の病院に移送されているのが現状だという。

 森下一男村長は「村民のいざという時のライフライン確保の観点から、航空路の開設は必要」と訴える。

 小笠原の空港建設計画が都で具体的に動き出したのは、30年前にさかのぼる。だが、計画案は再検討や撤回が相次ぎ、紆余曲折を経てきた。

 都は1987年度に設置した「小笠原空港問題調査検討委員会」で建設予定地の検討を進め、1995年2月、兄島に決定した。都の総務局行政部によると、兄島が選ばれたのは人の住んでいない未利用地であり、用地の確保が容易と見られたのが理由だった。

 ところが翌年1月、当時の環境庁が希少な植物の保全を理由に、兄島案に反対する意向を表明。都は候補地を検討し直し、1998年5月に兄島案を撤回し、父島の時雨山(しぐれやま)周辺に決定した。父島なのでアクセスしやすいほか、 自然環境への影響が比較的少ないと見込まれたためだが、決定後に都が行った環境調査では、ムニンツツジやオガサワラノスリなどの貴重な動植物の存在を確認。2001年11月に都は時雨山案も撤回した。